『少年クラブ 三月号』大日本雄弁会講談社 昭和24年3月1日発行

2019年9月28日

今回ご紹介するパブリックドメインの古雑誌は、昭和24年3月1日に大日本雄弁会講談社から発行された少年クラブ 三月号です。

それほどページ数は無いのですが、今回は少し手抜きで全ページスキャンではなく、多少間引いての紹介となります。

表紙

表紙デザインは、鉄棒をする少年で一見古さを感じない服装ですが、鉄棒を支える杭が木製なところに時代感が表れてますね。

付録は

① ペン画と略画ブック

② 熱狂ゲーム盤二種

となっています。

この頃は、戦後の混乱も多少は治まってきたころなんでしょうかね?

内容

最初の見開きから

Left Caption

ホシガメ

右ページの着色写真?、犬の表情がすごく可愛いですね。

「おやおや、あそこの廣場で。野球が、はじまったぞ。打ちました。
打ちました。あっ、ヒット ヒット。おかあさ、おかあさん、うちのぼっちゃんがヒットを打ちましたよ。」
「うるさい子だね。少し、しずかにしておくれよ。」
ぽかぽかとあたたかい日なたで、長ぐつのスタンドから、ポチの野球けんぶつです。

撮影 尾上一男
着色 飯田保平

撮影・着色とありますので、モノクロ撮影しプリントしたものに着色したんでしょうかね?印刷技術のレベルが低いためなのか、着色写真というよりも良質なイラストのように見えます。

左ページは厚紙になっていて、これが少年クラブ 三月号の付録なわけです。その名も「押し出しゲーム」

遊びかた
押し出しゲームの札四
枚を切りはなして。盤の
四すみへおきます。……

と遊び方の解説が記載されています。

←押し出しゲームの札

と記載されたところは、当然ですが切り抜かれてます。当時の少年たちが楽しく遊んだのでしょうね。

次の見開き、右は付録裏面の綱引きゲームです。

遊びかた
綱引きゲームの札、赤
四枚、緑四枚を切りはな
し、赤札は赤の陣地、……

と、こちらにも丁寧に遊び方が解説されてます。

左は、綴じ込みイラストを広げた状態です。

すばらしい自動車の行列
朝のサンフランシスコ

と題されてます。

ゴールデンゲートの渋滞がすばらしいとは思いませんがw。描かれている車のデザインはどれもカッコいいです。ちょっとヘタウマな感じに見えるイラストのタッチも、雰囲気があっていいですね。

綴じ込みイラストの裏面には、

人間が車をおもいつくまで

ー車の発達ー

人間が、自動車というものを発明してから。まだ七十年とは時がたっていませんが、その後の自動車の進歩は めざましいもので、いろいろの方面に、大きな働きをしています。
大むかしからの車の歴史をしらべてみると、人間の考える力というものが、どんなに大切なものかがよくわかります。……

と車の発達が時代経過とともに、イラスト付きで解説されています。

そして左ページ、なんかスゲー写真ですw

日本一の天狗の面

 すごい目をして、鼻をぬっとつきだした天狗の面、ずいぷん、大きいですね。
この天狗の面は栃木県那須郡津上村の法輪寺の寺宝で、高きニメートル四〇、はば一メートル七〇、ぐっとつき出た鼻の高さが一メートル五〇、重さはやく千キロもあります。
むかし、むかし、この地方に、わるものがはびこっていたころ、深山から大天狗が小天狗どもをひきつれて里にあらわれ、わるものどもを退治したといういいつたえがあって、それ以来、法輪寺には天狗がまつられているのだそうです。
この天狗の面は明治十三年の作で。今でも両わきにふたりの小天狗をひきつれて、ぐっと、わるものどもをにらみつけています。

Left Caption

ホシガメ

調べてみたら、大切に保管され現存しているようです。

道徳教育的な読み物へ

ぼくらの先生 カメラ訪問

「太陽への道」の

大林 清 先生

大林先生は、少年諸君のよいお友だちで、そして、諸君と同じように野球が大すきです。
裏の空地で野球がはじまると、いつも、審判をたのまれるそうです。
その名審判ぷりを一つとお願いして、写眞をとらせてもらいました。
「ストライク!」大林先生の右手が、高くあがると、足もとの愛犬の卜厶公が「ワン」とほえました。「ワンじゃない、ツーだよと、捕手の市岡君が笑っています。

トム公ってw。そういえば昔は「○○公」って言い方してましたね~。本来は尊称用途の「公」ですが……、蔑称的に「○○公」て使われてたのはなぜなんでしょうかね?

 卒業の日
「おじさん、長いあいだおせわになりました。ぼくたち卒業です。」
「おお、おお、わしのことも忘れずに………よく來てくれたね。おめでとうおめでとう。」
小使さんの少しうるんだ目が、ぽくたちをじっと見つめる。
六年前、入学のとき、はじめてあったときも、こんなやさしい、あたたかい目だった。あれから六年間、おじさんの鳴らす鐘の昔をなんべん聞いたろう。ぼくの胸は思い出で、いっぱいになり、目がしらが、思わずあつくなってくる。

(絵)河目悌二

「小使さん」とは用務員さんの事だろうと思いますが、こういう設備維持をされる方への感謝の気持ちは大切ですよね。

トマス・エジソン

勇敢な少年

「あっ あぷない!」
だれもが、そう思ったが、もう、どうにもならなかった。駅を出たばかりの列車の機関手は、数十メートルさきの線路の上に、小さな女の子がたおれて泣きさけんでいるのに氣がつかぬのであろう。だんだん速力を増してくるのだ。
あと数メートル、みんなが、あっと息をのんだとき、ひとりの少年が、飛鳥のように線路に飛びこんだ。そして目にもとまらぬ早さで、少女のからだをかかえると、すばやく線路の外に、ころがり落ちた。
その一しゅん、汽車は、少年のうしろをかすめて通りすぎていった………。

 この勇敢な少年は、あとから、かけつけた少女の父親にきかれて、「ぽくは、トマス・エジソンといって、今汽車で新聞賣りをしているんです。」と答えた。父親は、少年に、なにか専門の技術をおぽえた方がよいと、すすめた。そして、エジソンは、この人から電信の技術を習うようになった。
これは諸君もごぞんじの発明王トマス・エジソンが十五才のときのことであったが、かれの発明の才能は、それを習ってから、ようやくかがやきはじめたのである。