「浪曲セントルイス・ブルース」川田義雄

2019年4月17日

今回もまた、川田義雄さん関連のSP盤を紹介します。その名も「浪曲セントルイス・ブルース」です。

管理人ホシガメの手持ちSP盤は、残念ながら入手するまでの間に、粗雑に扱われてきた個体のようで、だいぶ盤面が痛んでおりますが……。

実は、このSP盤の「浪曲セントルイス・ブルース」には、ドラマティックな逸話があるのです……。

レコード発行情報

タイトル:浪曲セントルイス・ブルース
編曲:平 茂夫
歌手・実演家:川田 義雄
製作者(レーベル):ビクター
リリース年月日:昭和14年1939年12月 新譜
商品番号:J-54656
その他(ジャンルなど):かはッた浪曲

ところでオリジナルは?

そもそも、オリジナルのセントルイス・ブルースは、「ブルースの父」と呼ばれているウィリアム・クリストファー・ハンディが、1914年に起譜した楽曲です。(以降、W.C.ハンディ)

W.C.ハンディは、アメリカ南部アラバマ州フローレンス生まれで、牧師の父を手伝い、教会で賛美歌をオルガン演奏するため楽譜の読み書きを学ぶ中で、音楽性に目覚めて行ったようです。

父との衝突・楽団演奏・黒人差別・放浪生活……と紆余曲折あって、放浪の果てに曲名にもあるセントルイスにたどり着いたようですが、その後セントルイスを離れたのちに「セントルイス・ブルース」を創作したそうです。(曲の誕生経緯には諸説あるようです)

その後、アメリカのみならず世界各国のアーティストに演奏されるようになり、ジャズのスタンダードナンバーになって行ったことは、ご存知のとおりだと思います。

太平洋戦争最大規模の激戦地にて

戦前の日本において、川田義雄さんが日本語の歌詞を乗せた「浪曲セントルイス・ブルース」がリリースされました。昭和14年(1939年)12月ビクターレコードの新譜としてです。

その後、日本は太平洋戦争に突入してしまうのですが、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年2月)には、小笠原諸島の南端近くにある硫黄島が米軍の総攻撃を受け、日本側は約2万人の死者を出して全滅、アメリカ側は約7千人の戦死者を出しながらも占領にいたるところとなりました。

そして、日本兵の遺体と遺品がある防空壕の中に、一枚のレコードがあったそうです。

誰の持ち物だったのかは不明ですが、それは日本語で歌われた「セントルイス・ブルース」のレコードでした。

もちろん戦時中においては、敵性音楽であるアメリカの歌は禁止されていたわけですから、日本兵の誰かが密かに洞窟の防空壕に持ち込んだのでしょう。

レコードの行方……

このレコードは、70歳の時に事故で失明した「ハンディ」の元に届けられ、生涯の宝物となる。 「ハンディ」は、このレコードを聴くのが大好きで、聴きながら子供たちにこう語りかけたという。

「これは、敵も味方もなく同じ歌が聴かれたことを物語るかけがえのない一枚なのだ。」

引用:https://oyajijazz.exblog.jp/19174676/

感動的な話なのはもちろんですが、もうひとつ管理人ホシガメが思ったのは……。

オリジナルの作者であるW.C.ハンディにとって「生涯の宝」であったとしても、聞くに値する音楽的なクオリティがなければ、大切にしまわれたままになるはず。

「このレコードを聴くのが大好き……」と伝聞されているということは、川田義雄さんによる「浪曲セントルイス・ブルース」は、作者にとっても十分に鑑賞に堪える高いレベルと思われたのだろうと、あらためて感心させられるということです。